ダストボックス

メンタル安定のための吐き捨て場。

友達。

友達らしい友達がいたのは、高校時代くらいのものだ。


高校を卒業してからしばらくは付き合いもあったものの、一番仲が良かった友人が結婚して子供を産んでからはすっかり疎遠になってしまった。


嫌いになったわけではない。すごく優しくていい子だと今でも思っている。


友人関係に関しては、全面的に自分が悪い。


優しそうな旦那さんと結婚して、ふたりの子供に恵まれた友人。


片や私は配偶者どころか、彼氏もいない。好きだった仕事で、毎日吐きそうになっている。


高校時代は、私と彼女で何ら違いはなかった。どちらも男の子と付き合うよりも女友達の方が大事だった。よく本や漫画の話をしては笑っていた。


それなのに、今ではこの差だ。


嫉妬というよりも、後ろめたい。


十代の頃から何も成長しておらず、それどころか劣化さえしている自分が情けなくて顔を合わせられない。


こんなはずじゃなかった。可愛い女性になるのはとっくに諦めていたけれど、格好いい大人にならなれると思っていた。


甘ったれのくせに、甘えるのが下手な大人になってしまった。



私は今月で三十になる。未だに甘やかしてくれる誰かが現れるのを、ただ受け身で待っている。「助けて」の一言も言えないままで。


そんな人、いるわけもないのに。

人生の選択

思い返せば間違いだらけの人生だった。


私が自分の意思で選んだはずの最初の就職先で上手くいかず、鬱病を発症して逃げ出した。


今も選んでは間違え、間違えては泣いてばかりいる。



記憶にある中で、最初の選択肢は小学二年の頃だ。


その頃、両親の離婚が決まった。


定番の『お父さんとお母さん、どっちと暮らしたい?』という質問。


私は選べなかった。母親が好きだったから、母親と暮らしたいとは思っていた。


だけど、その質問をしたのは父だったから。


姉は、「学校変わるのが嫌だからお父さんと暮らす」と答えた。


私たちは、父の実家に住んでいた。


質問の矛先が私に向けられて、私は何も答えられずに泣き出した。


そうしたら、結局私と姉はそのまま父の家で暮らすことになり、母だけが出て行った。



もうあれから二十年以上が経つ。それでも、未だに考える。


もしもあの時。私が母親と暮らしたいと言っていたら。


姉とも離れたくないと言っていたら。


離婚してほしくないと泣き喚いていたら。


私の人生は、もう少し良い方向に行っていたんじゃないかって。



片親でも立派に生きている人は大勢いる。


だけど最も身近で、相談相手になりうる母親がいない。


それは間違いなく私の人格形成に大きく影響を与えた。


一人で抱え込んで、誰にも相談できない人間になってしまった。


自分一人で選んだら間違えるのに。




これ以上間違えないうちに、死にたい。


死ぬのは間違いだってはっきりわかるけど、生きてたってどうせ間違えるんだ。


誰にも迷惑を掛けないタイミングを計っている。


でも、そのタイミングが訪れる時は、今ある悩みが全部綺麗になくなった時だ。


その時の自分には、死ぬ理由がない。


だから私は生きて、また人生を間違えるのだと思う。

子どもの頃。

今でこそ接客業をやっているが、昔の私は外でまったく喋らない子どもだった。


出席を取られる時、授業で当てられた時。


必要最低限のことをぽつりと言って済ますような。


たまに喋ったら「珍しい」と言われるような子どもだった。



家では普通、よりは大人しかったとは思うが、それなりに喋れた。


とにかく外で喋れなかった。


「口が堅い」という良いイメージも持たれた一方で、誰にも言えないだろうというのを見越してのいじめにもあった。


気の強い女子一人から。その子とクラスが離れたと思ったら、その女子の腰巾着の男子一人から。


トイレに連れ込まれて服を脱がされたり、教科書を破られたり、靴を隠されたり。


流石にプールで泳いでいる時に足を引っ張られた時には、もがくフリをして蹴り返したが。


集団でのいじめに発展はしなかったものの、小学校3年から6年までその二人にいじめを受けた日々はつらくて仕方がなかった。


多分、いじめられていると誰かに泣いて訴えれば助かったのだと思う。


他の同級生や先生から見れば、あの二人より、私の信頼は厚かったと思う。


でも何も言えないまま卒業して、中学で新しい人間関係が増えたことによって、いじめは終息した。






大人になってから読んだ小説で『場面緘黙症』という言葉を知った。


加納朋子さんの『トオリヌケ キンシ』。

トオリヌケ キンシ
トオリヌケ キンシ
文藝春秋


ある特定の場面や状況で話すことができなくなってしまう精神疾患。


ああ私だ、と思った。夢中で調べた。


子どもの頃の私と完全に重なる症状がそこには列記されていた。


この本を読んだのはもう数年前になるが、ひどく救われた気持ちになったのを今でも覚えている。


精神疾患だったのがわかって救われた、なんておかしいと言われるかもしれない。


でも、あの頃の私の上手く喋ることの出来ないつらさ、もどかしさに名前が付いていた。


わかってくれる人は周りにはいなかったけれど、ほんの少し外に目を向ければ同じような子どもたちがいて、治そうとしてくれるお医者さんがいたんだ。


そのことがとても嬉しかった。



本を読むのが好きだ。物語というものが好きだ。フィクションの中に生きる人が好きだ。


読書は楽しければいい。人生の教訓が欲しいわけじゃない。


だけど不意に出会った一つの物語に心を救われることがあってもいい。